どのように過ごしたのか全く記憶がありません

『戸建て住宅が立ち並ぶエリアに、 我が家はありました。 地震で近所の数軒と同一方向に倒れ、 お二人の方が亡くなりました。 私は地震が起こった当日、 どのように過ごしたのか全く記憶がありません』 (阪神大震災から4年/神戸市/60代男性)

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物資の支援要請ができない状態でした

『避難所に行っても、 救援物資がいつ届くのかがわかりませんでした。 避難者が何人いて、 何をどのぐらい必要としているのか 把握することもできないので、 外部への物資の支援要請ができない状態でした』 (熊本地震から7カ月/大津町/40代男性)

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現場のニーズや復興のフェースに合わせた様々な活動

『震災後のボランティア活動は、 避難所支援や物資配布、 泥出し、ガレキ撤去から始まり、 徐々に祭りの支援やコミュニティ支援などへ 展開されました。 現場のニーズや復興のフェースに合わせた 様々な活動が行われました』 (東日本大震災から5年/石巻市)

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倒壊した家屋に埋まった経験が

『昭和21年に、高知市内で南海道地震に遭い 倒壊した家屋に埋まった経験があります。 阪神淡路の時の住まいは神戸。 揺れた瞬間に自宅が倒壊することを覚悟し、 身を守りました。 全壊でしたが、幸いにも家族は無事でした』 (阪神大震災から4年/神戸市/60代男性)

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想定通りに使える状態ではありませんでした

『指定避難所は、 地震でガラスが割れたり 物が落ちてきていたりしたので、 想定通りに使える状態ではありませんでした。 車で避難所に来ていた人はグラウンドで車中泊をして、 車では無い人は使える場所を譲り合いました』 (熊本地震から7カ月/大津町/40代男性)

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被災者が自炊できるよう

『震災直後は 被災者への食事提供が緊急課題となる中、 全国から多くの炊き出しボランティアが 来てくださいました。 緊急期を過ぎてからは、 被災者が自炊できるよう、 食材や器材の提供に移り変わっていきました』 (東日本大震災から5年/石巻市)

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避難所の場所が分からず

『本震の後は、 多くの人たちが避難所を利用しました。 中には避難所の場所が分からず、 混乱している役所に 電話で問い合わせた人もいたようです。 事前に確認しておかなければいけないと思います』 (熊本地震から7カ月/大津町/40代男性)

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のべ28万人を超え、地域の復興を力強く後押し

『石巻市内で支援活動に参加したボランティア数は 1年間でのべ28万人を超え、 地域の復興を力強く後押してくれました。 毎日100人規模のボランティアが動く団体が 複数あり、連携も生まれました』 (東日本大震災から5年/石巻市)

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被災した経験が、唯一最高の遺産

『地震で家を失いましたが、 地震を憎まないようにし、 命の尊さと感謝の気持ちを教えてくれたと 考えるようにしています。 私が次世代に残せるものは何もありませんが、 被災した経験が、 唯一最高の遺産であると自負しています』 (阪神大震災から4年/神戸市/60代男性)

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