袋に詰めてわける作業で、主に早朝に行っていました

『外部から届く、物資の仕分け作業をしました。 パンであれば、自衛隊の方がトラックで 2万個ほど持って来てくださるので、 それを各避難所の避難者数に合わせて 袋に詰めてわける作業で、主に早朝に行っていました』 (熊本地震から5カ月/大津町/20代女性)

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みんなで知恵を絞り、役割分担して

『避難所となった中学校で 4ヶ月半過ごしました。 震災当初は100人以上の避難者がいて、 水道や電気もない中 みんなで知恵を絞り、役割分担して、 共同生活を続けました』 (東日本大震災から2年/石巻市/男性)

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帰属意識の強さが、町の復興を支えている

『知り合いのシンガポール人が、 神戸の復興が進む様子を見て、 シンガポールなら他の国に移って 一からやり直す人がたくさんいると思うが、 日本は留まる人が多いと感心していました。 帰属意識の強さが、町の復興を支えているんですね』 (阪神大震災から3年/神戸市/50代男性)

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物が散乱する自宅をそのままに

『前震の時はあまりにも突然で、 何が起こったのかがわからない状態でした。 けれども、災害時は出勤することになっていたので、 物が散乱する自宅をそのままに、 職場に向かいました』 (熊本地震から5カ月/大津町/20代女性)

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資機材の寄贈もあり、大いに役立ちました

『ボランティアさんたちや、自衛隊のみなさんが、 人力ではどうすることもできなかった 瓦礫を撤去してくださいました。 資機材の寄贈もあり、大いに役立ちました。 ご協力くださったみなさんの期待に応えられうよう がんばっていきたいです』 (東日本大震災から2年/石巻市/40代男性)

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かなりの作業量でした

『避難所へ、食料や物資を配る仕事を担当しました。 物資を仕分けし、数を確認し、 決められた数を各避難所へ持って行くことは かなりの作業量でした』 (熊本地震から5カ月/大津町/20代女性)

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希望が持てるようになってきました

『津波で全ての財産を失い、 数日間は、何も考えることができませんでした。 同業者と話合いをしたり、 瓦礫の中から使えそうなものを 集めたりしているいるうちに、 希望が持てるようになってきました』 (東日本大震災から2年/石巻市/40代男性)

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本人が得たほどの感動は伝わらないもの

『被災地外からの救援者たちが 被災地で仲間や被災者とふれあいに感動し、 それを地元に戻ってから家族や友人に 言葉で語ろうとしても、 本人が得たほどの感動は 伝わらないものなんです。 逆に自分が周囲から浮いた存在に感じるのです』 (阪神大震災から3年/神戸市/50代男性)

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避難所を閉じて、出勤しました

『私は消防団に入っているので、 避難所が開設されるとすぐに 割り振られた小学校に向かいました。 朝には避難者の方が帰宅されたので、 避難所を閉じて、出勤しました』 (熊本地震から5カ月/大津町/20代女性)

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