袋に詰めてわける作業で、主に早朝に行っていました 2019年10月31日 『外部から届く、物資の仕分け作業をしました。 パンであれば、自衛隊の方がトラックで 2万個ほど持って来てくださるので、 それを各避難所の避難者数に合わせて 袋に詰めてわける作業で、主に早朝に行っていました』 (熊本地震から5カ月/大津町/20代女性)続きを読む
みんなで知恵を絞り、役割分担して 2019年10月30日 『避難所となった中学校で 4ヶ月半過ごしました。 震災当初は100人以上の避難者がいて、 水道や電気もない中 みんなで知恵を絞り、役割分担して、 共同生活を続けました』 (東日本大震災から2年/石巻市/男性)続きを読む
帰属意識の強さが、町の復興を支えている 2019年10月29日 『知り合いのシンガポール人が、 神戸の復興が進む様子を見て、 シンガポールなら他の国に移って 一からやり直す人がたくさんいると思うが、 日本は留まる人が多いと感心していました。 帰属意識の強さが、町の復興を支えているんですね』 (阪神大震災から3年/神戸市/50代男性)続きを読む
物が散乱する自宅をそのままに 2019年10月28日 『前震の時はあまりにも突然で、 何が起こったのかがわからない状態でした。 けれども、災害時は出勤することになっていたので、 物が散乱する自宅をそのままに、 職場に向かいました』 (熊本地震から5カ月/大津町/20代女性)続きを読む
資機材の寄贈もあり、大いに役立ちました 2019年10月27日 『ボランティアさんたちや、自衛隊のみなさんが、 人力ではどうすることもできなかった 瓦礫を撤去してくださいました。 資機材の寄贈もあり、大いに役立ちました。 ご協力くださったみなさんの期待に応えられうよう がんばっていきたいです』 (東日本大震災から2年/石巻市/40代男性)続きを読む
ボランティアや救援者が日常生活に戻ったときの心のケアも必要 2019年10月26日 『被災地での救援活動に熱心なほど、 日常生活へのソフトランディングに 困難を感じるようです。 ボランティアや救援者が日常生活に戻ったときの 心のケアも必要だと思います』 (阪神大震災から3年/神戸市/50代男性)続きを読む
かなりの作業量でした 2019年10月25日 『避難所へ、食料や物資を配る仕事を担当しました。 物資を仕分けし、数を確認し、 決められた数を各避難所へ持って行くことは かなりの作業量でした』 (熊本地震から5カ月/大津町/20代女性)続きを読む
希望が持てるようになってきました 2019年10月24日 『津波で全ての財産を失い、 数日間は、何も考えることができませんでした。 同業者と話合いをしたり、 瓦礫の中から使えそうなものを 集めたりしているいるうちに、 希望が持てるようになってきました』 (東日本大震災から2年/石巻市/40代男性)続きを読む
本人が得たほどの感動は伝わらないもの 2019年10月23日 『被災地外からの救援者たちが 被災地で仲間や被災者とふれあいに感動し、 それを地元に戻ってから家族や友人に 言葉で語ろうとしても、 本人が得たほどの感動は 伝わらないものなんです。 逆に自分が周囲から浮いた存在に感じるのです』 (阪神大震災から3年/神戸市/50代男性)続きを読む
避難所を閉じて、出勤しました 2019年10月22日 『私は消防団に入っているので、 避難所が開設されるとすぐに 割り振られた小学校に向かいました。 朝には避難者の方が帰宅されたので、 避難所を閉じて、出勤しました』 (熊本地震から5カ月/大津町/20代女性)続きを読む