「何も持たずにすぐ高台へ」と教えられていた

『自宅の2階にいたときに 地震が起こりました。 揺れが弱くなった瞬間に 今しかないと思って家を飛び出し、高台に向かいました。 祖母から「何も持たずにすぐ高台へ」と 教えられていたので、 何もかも置いて走りました』 (東日本大震災から2年/釜石市/40代女性)

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耳が遠いので内容がよく聞こえません

『地震の揺れが大きく、 外の方が安全だと思ったので 家から飛び出しました。 近所の人たちも一緒でした。 警報は出ていましたが、 私は耳が遠いので内容がよく聞こえません。 消防団の方に叱られて、 あわてて山に逃げました』 (東日本大震災から2年/釜石市/70代女性)

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友人が家を貸してくれるなど、助けてくれました

『震災直後は生きることだけで必死でしたが、 ふと我に返ると、不安でいっぱいになりました。 半壊だと思っていた自宅は一部損壊との判定で、 優遇策も少ないものでした。 けれども友人が家を貸してくれるなど、 助けてくれました』 (阪神大震災から3年/神戸市/50代女性)

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現場で考えて対応することは難しかった

『避難所に届いた食糧を配布する時には、 どのように並んでもらえばスムーズなのか、 そしてどのようにすれば、 高齢者や子ども、 お身体の不自由な方から優先に配ることができるのか、 現場で考えて対応することは難しかったです』 (熊本地震から9カ月/大津町/40代男性)

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堤防の内側の波が引いていくのが見えました

『経験のない大きな揺れに 津波が来るに違いないと思いました。 ストーブを消して屋外に飛び出すと、 近所の人たちも口々に 「津内が来る!」と言ってました。 逃げる途中、 堤防の内側の波が引いていくのが見えました』 (東日本大震災から2年/釜石市/70代女性)

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落ち込んでいる暇がなかった

『震災が起こってから、 いくつもの会合に出席しました。 意見がまとまらず口論になったこともあり、 しんどい思いをしました。 でも、よかったなと思うのは、 忙しかったので、 落ち込んでいる暇がなかったこと。 これからも参加するつもりです』 (阪神大震災から3年/神戸市/50代男性)

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配り始めると足りなくなり

『避難所での食事は、 避難所で確認できた人数を本部に知らせて 用意してもらっていました。 最初、車中泊の方などは数えられなかったので、 配り始めると足りなくなり、 パニックになることもありました』 (熊本地震から9カ月/大津町/40代男性)

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すぐに逃げるべきでした

『地震の後、家を少し片付け、 さあ避難しようと思ったときには 家が津波に飲まれていて、手遅れでした。 2階の机の上に立っていると、口元まで水がきました。 そこから水が引き始めて助かりましたが、 すぐに逃げるべきでした』 (東日本大震災から2年/釜石市/70代女性)

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自分のことながら感心

『震災から1年9カ月の間、 地域の復興を検討する会議など、 震災にまつわる様々な活動に関わりました。 自分のことながら感心するとともに、 震災前までは特に主義主張を持たなかった私を 駆り立てるものは何なのだろうと 疑問に思います』 (阪神大震災から3年/神戸市/50代男性)

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正確な人数はわかりませんでした

『避難所にいる人たちを 名簿で把握しようと思いましたが、 書かない方や書いているのにいなくなっている方がいて、 できませんでした。 せめて人数だけでもと目視で数えましたが、 車中泊の方もいたので、 正確な人数はわかりませんでした』 (熊本地震から9カ月/大津町/40代男性)

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