我が家の近くの仮設だったので前向きに頑張れた

『家が全壊し、仮設住宅に移りました。 家具が震災で全て壊れたので、 生活必需品を揃えるだけでも 大きなお金がかかりました。 気温の変化を受けやすく、狭い部屋でしたが、 我が家の近くの仮設だったので 前向きに頑張れたと思います』 (阪神大震災から3年/芦屋市/60代女性)

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客観的に物事を見て話すことができるように

『落ち着いたと思えるようになったのは、 震災から半年が経った頃です。 訪ねてきてくれた知り合いに、 震災の状況を話したり、 今の様子を見てもらおうと案内したりするうちに、 客観的に物事を見て話すことができるようになりました』 (熊本地震から9カ月/大津町/40代男性)

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打ち上げ花火のような音が

『避難している最中に、 ドーン、ドーンという 打ち上げ花火のような音が 沖の方から聞こえました。 私は母から、昭和8年の津波のときに 爆発音がしたと聞いていたので、 津波が来たと気づきました。 間もなく津波が押し寄せました』 (東日本大震災から2年/釜石市/70代女性)

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確認する心の余裕はまだありませんでした

『震災によるショックから、 やっと冷静さを取り戻せた2月末に、 我が町が区画整理地区に指定されたという 知らせが入りました。 土地に関するいろんなうわさを耳にし、 信じ難いとは思いましたが、 確認する心の余裕はまだありませんでした』 (阪神大震災から3年/芦屋市/60代女性)

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もう少し頑張ろうという気持ちになりました

『避難所運営をしていると、 お礼の言葉をいただくことが多々あり、 活動の原動力になりましたし、 苦労が報われました。 被災された方々のために もう少し頑張ろうという気持ちになりました』 (熊本地震から9カ月/大津町/40代男性)

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ハザードマップでは浸水エリア外

『近所の人に、 津波が来るよと避難を促されましたが、 信じられませんでした。 ハザードマップでは浸水エリア外で、 川の堤防のかさ上げなどは済んでいたからです。 避難が遅れ、自宅ごと流されました。 命は助かりましたがあぶなかったです』 (東日本大震災から2年/釜石市/60代男性)

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大学生のボランティアさんが手伝ってくれました

『大きな揺れで私の家は全壊し、 2階の屋根が人の目の高さにまで下がりました。 生活に必要なものも埋まってしまいましたが、 建物の解体時になんとか取り出し、 運ぶのは大学生のボランティアさんが手伝ってくれました。 ありがたかったです』 (阪神大震災から3年/芦屋市/60代女性)

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モラルについて考えさせられました

『避難所ではトイレを使った後に、 次の人が流すための水くみをするという ルールにしていました。 守ろうとしない人がいる一方で、 体の不自由な人の手伝いをする人もいて、 モラルについて考えさせられました』 (熊本地震から9カ月/大津町/40代男性)

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津波が坂道を登ってきた

『昭和三陸津波の後に造成された 高台に住んでいました。 地震の後、 低地に住む方々が高台へ避難して来られました。 私の家は大丈夫だと思っていたところ、 津波が坂道を登ってきたのです。 力を振り絞って山を駆け上りました』 (東日本大震災から2年/釜石市/70代女性)

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子どもたちが楽しめる時間を作っていきたい

『震災の影響で空き地が増え、 工事車両が行き交う中ですが、 子どもたちが心豊かに育っていることに ほっとしています。 イベントを企画して、 子どもたちが楽しめる時間を作っていきたいです』 (阪神大震災から3年/芦屋市/30代女性)

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