臨時災害放送局を設立

『避難所だけで聞こえる音声通信で情報発信していると 「聞こえないよ」と何人もの人に言われました。 地元の情報を聞きたいのかな?と思って、 臨時災害放送局を設立しFMラジオ放送をしています。 ラジオは人と人を繋ぐんですよ』 (東日本大震災から6年/福島市/40代女性)

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周囲のことを考えられる余裕が出てきました

『家の再建を終えてから、生活が落ち着き、 私も家族も、周囲のことを考えられる余裕が出てきました。 主人は、ボランティア活動を始めました。 自分にできることで協力し、譲り合うことで、 復興が進むのではないかと思います』 (阪神大震災から3年/神戸市/30代女性)

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防災無線で避難を呼びかけました

『震災の2カ月後に発生した豪雨も大変でした。 避難指示が出たのですが、 逃げない人が多いのです。 年配の方は早めに避難していましたが 若い人は大丈夫だと思うのか、 自宅にいる人が多かったので、 防災無線で避難を呼びかけました』 (熊本地震から6カ月/大津町/70代男性)

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昔のまちの様子が思い出せる懐かしい話を聞くと

『震災後、地域を離れて暮らしています。 地元のFMラジオで 「○○通りの角を曲がって○○の店が・・・・」と 昔のまちの様子が思い出せる懐かしい話を聞くと、 なんだか嬉しくなります』 (東日本大震災から6年/福島市/40代女性)

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震災から3年経った今のお客さん

『震災後に飲食店をオープンしてすぐの頃は、 県外からの震災復旧関係者が 大勢お越しくださって賑わいました。 震災から3年経った今のお客さんは 建築関係の人や、 再建された地元の方に変わりました』 (阪神大震災から3年/神戸市/30代女性)

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瓦屋さんに頼んでも、いつ来てもらえるかわかりません

『地区のみなさんが 家に戻ったり、屋根の修理が終わったりすると、 地震から一段落したなと思えますが、 まだまだ手つかずのところも多いです。 瓦屋さんに頼んでも、いつ来てもらえるかわかりません。 2年ぐらいかかりそうです』 (熊本地震から6カ月/大津町/70代男性)

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海の近くで話せる場所がほしいと思ったので

『津波で海が怖くなったけど、 しばらくすると海に行きたくなりました。 波の音を聞いていると、心地よかった。 同じような人が来ていて、なんとなく話すようになり、 海の近くで話せる場所がほしいと思ったので、 小屋を建てました』 (東日本大震災から6年/仙台市/30代男性)

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1階をお店に、2階を祖母の家にし、再建

『1人暮らしの祖母の家が全壊しました。 祖母はその土地に帰りたいけど再建資金がなく 私の両親は店を持ちたいけど土地がなかったので、 1階をお店に、2階を祖母の家にし、再建しました。 みんなの思いがまとまってよかったです』 (阪神大震災から3年/神戸市/30代女性)

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利用者で運営してもらうようにしました

『地域の公民館には、 地震から1カ月後まで 6世帯ほどが避難していました。 避難者が多い最初の頃は 役員などで避難所の運営をしていましたが、 世帯数が減ってからは、 公民館を開放し、 利用者で運営してもらうようにしました』 (熊本地震から6カ月/大津町/70代男性)

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活躍でき、元気になれる場所づくり

『私たちのまちは、 震災の直接死が18人なのに、関連死が402人。 関連死の方が圧倒的に多いです。 私にできることは、被災者が活躍でき、 元気になれる場所づくりだと思って 頑張っています』 (東日本大震災から6年/郡山市/40代女性)

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