年なので、娘の近くがいい

『津波で漁村にあった家が流されました。 年なので、娘の近くがいいと思い、 まちで再建しました。 漁村を離れて寂しいですが、 娘とすぐ会えるし、 もう一人いる娘一家が来たときには、 近くの温泉で一緒に泊まります。 楽しみが増えました』 (東日本大震災から6年/石巻市/80代男性)

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皆がお互いに理解、尊重できる町にしたい

『地震の後1カ月ぐらいは、 被災地全体が優しかったです。 社会的地位とか、経済力とか、 民族などの違いの壁が、取っ払われたんです。 今は、元に戻ってしまいましたけど、 これからつくる町は、 皆がお互いに理解、尊重できる町にしたいです』 (阪神大震災から4年/神戸市/30代男性)

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怪我をした母に避難所生活は1日でも難しく

『本震時の濁流で、家が潰れました。 怪我をした母に避難所生活は1日でも難しく、 熊本市内にいる姉に、急いで迎えに来てもらいました。 みなし仮設住宅に入るまでの約2ヶ月、 私は避難所生活をし、 母は姉宅でお世話になりました』 (熊本地震から1年/南阿蘇村/60代男性)

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前を走る車のスピードが遅く

『震災の時に、車で高台に向かいました。 前を走る車のスピードが遅く、 僕の車は波がかぶりました。 無事でよかったですが、 避難の時は一刻を争うので、 運転な得意な方の車に分乗するとか、 考えておいたほうがいいかもしれません』 (東日本大震災から6年/石巻市/30代男性)

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その人たちにと限定された救援物資が届き始めた

『震災直後は公園で生活しました。 同じ公園にいた一部の人たちが、 たまたまマスコミの取材を受けたところ、 その人たちにと限定された 救援物資が届き始めたんです。 極寒の野外生活という極限の中ですから、 当然のごとく争いになりました』 (阪神大震災から4年/神戸市/30代男性)

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震災時は予期せぬことが起こります

『地震後、インターネットや不動産屋で 住宅を必死に探しました。 4月末に空く予定の物件を見つけ、準備を進めましたが、 前の居住者が地震で引越しできず結局5月になりました。 予定が狂って大変でした。 震災時は予期せぬことが起こります』 (熊本地震から1年/南阿蘇村/60代男性)

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通学の利便性を考えて、仮設住宅は内陸を希望

『津波で、沿岸部にある自宅と、 子どもの学校が被害を受けました。 学校は内陸で再開されました。 だから、通学の利便性を考えて、 仮設住宅は内陸を希望しました。 同居していた両親は沿岸部を希望し、 離れて暮らすことになりました』 (東日本大震災から6年/石巻市/40代男性)

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今後は友達として、様子を見にきてくれるとうれしい

『私が暮らしている応急仮設住宅では、 多くのボランティアさんに 支援していただきましたが、 これからは必要ないなと思います。 もう仮設を出るんだから、私たちには自立心が必要。 今後は友達として、様子を見にきてくれるとうれしいです』 (阪神大震災から4年/神戸市/50代女性)

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すぐに、安否確認と人命救助に向かいました

『地震で足をケガしました。 擦り傷のようなものですが、数十センチありました。 普段はきちんと手当てしますが、 緊急時で、地域の役員だったので、 近所の人にとりあえず長靴を借りて、 すぐに、安否確認と人命救助に向かいました』 (熊本地震から1年/南阿蘇村/60代男性)

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80名ほどで一気に片付けてくれました

『津波で家のものが流され、 敷地には他から流れ着いたモノが残りました。 20km離れた避難所から毎日通っての片付けは 気が遠くなる作業でした。 そんな時、ボランティアさんと偶然出会い、 80名ほどで一気に片付けてくれました』 (東日本大震災から6年/石巻市/60代女性)

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