どうしても騒がしくなるので

『避難所に入ったとき、 屋根があって座る場所があることを 本当にうれしく思いました。 ただ私は、幼い孫達と一緒に避難しており、 どうしても騒がしくなるので、 ほかの皆さんに迷惑かと思い、 避難所の近くで車中泊をしました』 (熊本地震から1年/南阿蘇村/60代男性)

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周辺地区の人口がかなり増えています

『福島第一原発から半径30km以上離れ、 避難指示が出なかった区域から 仮設住宅をつくりました。 また、仕事で来られる方も 周辺地区で住宅を借りています。 そのため今では、周辺地区の人口が かなり増えています』 (東日本大震災から6年/南相馬市/40代男性)

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町の風景が全く変わっていない

『この1年を振り返ると、 町の風景が全く変わっていないんです。 土地区画整理事業の関係で、 まだ建物を建てることができず、 更地が広がっていますから。 震災から5年目になれば、 家を建てられると思いますけど、 どんな町になるんでしょうね』 (阪神大震災から5年/神戸市/50代男性)

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市内でも建物の中で寝るのは不安

『集落の避難所では ペットとの生活ができなかったので、 熊本市内にいる息子の家に行きました。 市内でも建物の中で寝るのは不安で、 結局ペットと車中泊しました。 息子から体に良くないといわれ、 1週間後くらいから家の中で寝ました』 (熊本地震から1年/南阿蘇村/80代女性)

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稼がなくてはならないので、日夜働いていて

『養殖漁師なので離半島部に暮らしていますが、 子どもが通う高校が無いため、 通学にバスなどのお金がかかります。 それに、漁の再開にあたっては、設備代を借金しました。 稼がなくてはならないので、 日夜働いていて、休む間もありません』 (東日本大震災から6年/石巻市/40代男性)

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人口が戻らなければ商売は厳しい

『私の店がある地域は、 土地区画整理事業が行われ、 道路や公園などの公共用地と、宅地が整備されます。 ただその後、町に人が戻るかどうかは、 なりゆきまかせ。 人口が戻らなければ商売は厳しいですが、 覚悟を決めてやるしかありません』 (阪神大震災から4年/神戸市/50代男性)

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余震の怖さから、まだ興奮状態だったようで

『本震で家が潰れ、 隣町の施設へ避難させてもらいました。 家からは何も取り出せず、着替えも無い状態でしたが、 至れり尽くせりで、心が少し落ち着きました。 しかし余震の怖さから、まだ興奮状態だったようで、 夜は寝られませんでした』 (熊本地震から1年/南阿蘇村/60代男性)

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生徒数は全体で、243名から36名に減少

『震災から6年を経て、小中学校が 震災前の場所で再建されました。 生徒数は全体で、243名から36名に減少。 36名のうち、沿岸部に住む生徒は10名で、 他の26名は、 震災後に、沿岸部から内陸部に引越した子たちで、 スクールバスで通います』 (東日本大震災から6年/石巻市/30代男性)

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路面販売も始めました

『震災で店を失いましたが、 頑張って再建しました。 食品の卸売がメインの、 大通りに面した店です。 何とかして売り上げを伸ばそうと思い、 通りすがりの方にも買っていただける新商品を作って、 路面販売も始めました。 おかげさまで好評です』 (阪神大震災から4年/神戸市/50代男性)

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制度を知ると意向が変わります

『震災後、蓄えの少ない高齢の方は、 賃貸住宅を探すという発想にならず、 応急仮設住宅の希望が多かったです。 けど、みなし仮設住宅(賃貸住宅を利用)の制度を知ると、 賃貸住宅を確保する方もでてきました。 制度を知ると意向が変わります』 (熊本地震から1年/南阿蘇村/60代男性)

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