仙台の仲間が車で迎えに来てくれて

『津波で自宅は被害を受け、 漁村からまちへ出てきて再建しました。 漁村の祭には行きたいのですが、 車の運転ができないのであきらめていたところ、 今年は、仙台の仲間が車で迎えに来てくれて、 行くことができました。 仲間って良いですね』 (東日本大震災から6年/石巻市/80代男性)

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やっと店がにぎわってきました

『震災から2カ月後に店を再開したときは、 お客さんが減り、先行きが不安でしたが、 あれから4年たち、 やっと店がにぎわってきました。 相変わらず周囲に住宅はほとんどなく、 客層も変わりましたが、 いいお客さんに恵まれてよかったです』 (阪神大震災から4年/神戸市/50代女性)

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体調の変化にも気づきます

『本震で地区の水道が被害を受け、 回復の目処がたたず、 長期避難世帯に指定されました。 集落の85世帯がばらばらになりましたが、 毎月の区報で情報を伝えています。 手配りの場合は定期的に会うことができるので、 体調の変化にも気づきます』 (熊本地震から1年/南阿蘇村/60代男性)

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入居希望は12世帯でしたが、結局6世帯

『6年を経てようやく公営住宅ができました。 震災当初の入居希望は12世帯でしたが、 結局6世帯に。 予定通りに建設が進まず、月日が経つうちに、 他地区で再建してしまいました。 計画は早かったのに、 なぜ6年もかかるんでしょうか』 (東日本大震災から6年/石巻市/60代男性)

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気疲れもありました

『仮設住宅から公営住宅に引っ越すときに、 ボランティアさんに手伝ってもらいました。 私自身の体調が悪かったので、 来てもらって本当にありがたかったのですが、 他人に頼んだことでの気疲れもありました』 (阪神大震災から4年/神戸市/70代女性)

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安否確認のための名簿が必要

『地震の時、安否確認のための名簿が必要になりました。 2012年に発生した九州北部豪雨の時も被害が大きく、 その後災害には備えており、名簿もありました。 そのため、 安否確認と、仮設住宅に移った後の連絡でも 役に立っています』 (熊本地震から1年/南阿蘇村/60代男性)

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どちらも忘れないように

『震災の慰霊碑を、お寺が建ててくれました。 戦時中の船不足を補うため、 私たち漁村の船が油や小さな大砲等の物資を運んだのですが、 その時に犠牲になった乗組員の慰霊碑も一緒にです。 どちらも忘れないようにしようと思います』 (東日本大震災から6年/石巻市/70代女性)

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2店舗が1カ所で営業するのは難しい

『家族で経営していた飲食店が被災しました。 同業の親戚が 「こっちの店で一緒に働こうよ」と言ってくれて、 行くことにしました。 けど、2店舗が1カ所で営業するのは難しいですね。 もめ事が絶えず、早々に店を再建することにしました』 (阪神大震災から19年/神戸市/50代女性)

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緊急のものは減っています

『地震の時に被災集落の区長をしていたので、 被災してからは、 携帯電話をしょっちゅう充電しないといけないくらい、 緊急の電話がどんどんかかってきました。 1年経った今は、電話の本数が減り静かです。 内容も緊急のものは減っています』 (熊本地震から1年/南阿蘇村/60代男性)

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いつまでも頼っているのはよくない

『ボランティアさんの協力のおかげで、 震災後も集落の祭を続けることができました。 今はボランティアさんが減っていますが、 自分たちで周辺地区に声をかけ、 神輿の担ぎ手を揃えるつもりです。 いつまでも頼っているのはよくないですから』 (東日本大震災から6年/石巻市/70代男性)

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