誰とでも話ができるようになった

『震災で、 人は一人では生活できないということが よくわかりました。 それに、人というのは、 環境によって変わるんだなと思いました。 引っ込み思案だった子どもが、 避難生活の中で、 誰とでも話ができるようになったんです」 (阪神大震災から4年/神戸市/50代男性)

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避難先の隣町から田んぼに通って草刈りを

『熊本地震の影響で、 田んぼへ水が来なくなりました。 お米はつくれませんが、 草が生えるので放置もすることもできず、 仕方がないので、 避難先の隣町から田んぼに通って 草刈りをしています』 (熊本地震から1年/南阿蘇村/60代男性)

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人々が集う場所を地域に提供したい

『住民の方から 「何もない場所に、商店街を再建して大丈夫?」 という声もありました。 けれども私たちは、 何も無いからこそここに再建し、 人々が集う場所を地域に提供したいのです。 小さな商店街だけど、 大きな一歩だと思っています』 (東日本大震災から6年/気仙沼市/60代男性)

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困ったときには相談できるので

『復興のための説明会等には、 できるかぎり出席しようと思っていますが、 仕事があるので、 どうしても行けない時があります。 でも、行政の方が近所にいて、 困ったときには相談できるので 安心です』 (糸魚川市大規模火災から6カ月/糸魚川市/40代男性)

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盗難被害のおそれがあるので

『熊本地震の前震の時には、 消防団と集落の役員が各戸を回って、 住民を避難所へ誘導しました。 避難後は集落が無人になり、 盗難被害のおそれがあるので、 役員が集落へ入る唯一の道に車を止めて、 人の出入りを一晩見張りました』 (熊本地震から1年/南阿蘇村/60代男性)

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人に使われることに慣れてない

『養殖で使う漁具やあい船を、津波で流されました。 再度買い揃えるのは大変なので、嫁は 「遠洋漁業の船乗りになってもいいよ」 と言いましたが、 人に使われることに慣れてないし、 若手の体力には叶わないので、 養殖漁業を再建しました』 (東日本大震災から6年/石巻市/40代男性)

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私のエネルギーになってるから

『私の震災体験が 少しでも役に立つのならと思い、 語り部を始めました。 町並みがきれいになり 自分の家が跡形もなくなると、 伝えるのは難しいです。 でも続けているのは、 若い人たちに語ることが 私のエネルギーになってるからです』 (阪神大震災から13年/神戸市/70代女性)

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探しながら訪ねています

「老人会の会長として、集落の住民を訪問しています。 みなし仮設住宅に入った人は、 携帯電話はわかるけど、住所がわからないので、 探しながら訪ねています。 ボランティアみたいなものですが、 会ってお話しできるので嬉しいです」 (熊本地震から1年/南阿蘇村/70代男性)

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転校させたくないから

『本当は、被災した場所で 住宅を修繕して住みたかったんです。 でも危険区域に指定されたので、 あきらめて移転せざるを得なくなりました。 子どもが中学生で、 転校させたくないから、 近くの移転地を希望しました』 (東日本大震災から6年/石巻市/40代女性)

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請求できなくなりました

『在庫をかかえる商売をしているので、 今回の火災では大変でした。 買掛金のデータは卸屋にあり請求されますが、 売掛金はパソコンが焼けてわからないので、 請求できなくなりました。 今ではUSBでバックアップをとっています』 (糸魚川市大規模火災から6カ月/糸魚川市/70代女性)

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