通常営業になると1日に50食しか

『震災から2カ月後、 飲食店オープンの日は、 通常600円の食事を無料で振る舞いました。 750食も出てよかったと思いましたが、 通常営業になると1日に50食しか出ない日もあり、 この先が不安になりました。 けれどもなんとか今まで続けています』 (阪神大震災から21年/神戸市/80代女性)

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海と山の幸を活かして生活

『私達の集落は平凡な小さな漁村です。 ただ考えてみると、子どもの頃は、 海と山の幸を活かして生活をしていました。 少しでも収益をあげ、 被災後人口減少が著しいこの集落で、 若い方も暮らせる環境をつくりたいと頑張っています』 (東日本大震災から5年/石巻市/60代男性)

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どうやってでも生活していける

『震災は一生に一度できるかできないかの すさまじい経験でした。 遭った人にしかわからないほど大変なんです。 けれども人間は案外強くて どうやってでも生活していける、 ということも知りました』 (阪神大震災から3年/神戸市/50代女性)

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遅いかもしれませんが、失敗ではない

『年をとり、体がうまく動きませんが、 私たちの住宅や生活の再建では、 棚やひさしを作るなど、 環境を少しずつ良くしています。 他の先進国の復興と比べると、 遅いかもしれませんが、失敗ではない。 時間がかかっているだけです』 (スマトラ沖地震から12年/パンダアチェ市/70代男性)

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みんなにありがとうと言ってやめたい

『震災から2カ月後、 店を再開した日の日記には 「この先どんな世の中になるかわからないけど、 閉店するときは、 みんなにありがとうと言ってやめたい」と書いてあります。 あの日からもうすぐ22年ですが 再開してよかったと思います』 (阪神大震災から21年/神戸市/80代女性)

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いつまでも、被災者ではいられません

『震災から5年が経ち、 我々もいつまでも、被災者ではいられません。 今後どうするかを考えて、 アイデアを探しています。 アメリカの地域づくりは 民間団体で支えていることが多々あり、 参考になります』 (東日本大震災から5年/岩手県/60代男性)

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更地が広がっている中で店を再開

『震災後、周囲に更地が広がっている中で 店を再開しました。 人が少ないからお客さんも減ってしまい、 暇な時間が多いです。 しばらくは諦めていますが、 早く復興事業が進んで 人口が戻ることを願っています』 (阪神大震災から3年/神戸市/50代女性)

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担当者によってニュアンスが変わる

『行政との交渉では、担当者によって ニュアンスが変わることがありました。 担当者の話をきちんと確認し、理解しながら、 何度もねばり強く交渉しないといけない ということがわかりました』 (東日本大震災から5年/岩手県/60代男性)

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九州に住んでいる弟が、家の片付けを手伝いに

『地震当日からしばらくの間、 毎週末になると、九州に住んでいる弟が、 家の片付けを手伝いに来てくれました。 遠くの親戚より近くの他人と言いますが どちらにも良くしてもらいました。 日頃から仲良くすることは大事です』 (阪神大震災から21年/神戸市/80代女性)

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日常生活の延長上で課題を捉えなくては

『元々、社会的な課題があった上に、 被災したのです。 ですから、復興において、 災害による被害だけを課題とするのは、 不可能なことです。 日常生活の延長上で、 課題を捉えなくてはならないでしょう』 (スマトラ沖地震から12年/京都市/40代女性研究者)

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