若者が率先すべきだと実感

『熊本地震の時、 会長など地域の役職についている方は高齢者が多く、 ご自身のことで精一杯になっていました。 災害時は、 人を助けに行くことも必要なので、 今後の防災の取り組みは、 若者が率先すべきだと実感しました』 (熊本地震から1年/熊本県/50代男性)

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店舗は高台には建てられないので、通勤しています

『震災前は、家と店舗が一緒だったので、 朝起きて食事したら、 すぐに一階におりて、仕事ができていました。 震災後、住宅は高台移転事業で 移転したのですが、 店舗は高台には建てられないので、 通勤しています』 (東日本大震災から6年/宮古市/60代男性)

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ずっと続けていくのは難しい

『慰霊法要を続けている地域が、 だんだんと減ってきました。 その一方で、震災を伝えていこうという 呼びかけがなされています。 伝えるのは大事なことですけど、 ずっと続けていくのは難しい。 いつかは無理が出てくるんじゃないかと思います』 (阪神大震災から22年/神戸市/60代男性)

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震災以降は娘と別居しています

『熊本震災では家は無事だったのですが、 まだ余震の不安があります。 家具等の振れ止めはしていても 動かない保障はないので、 震災以降は娘と別居しています。 余震の不安がなくなれば良いのですが…』 (熊本地震から1年/熊本県/40代男性)

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相談してみるものですね

『集落の発展のために、欲しい備品がありました。 資金が無いのですぐには無理だと思っていましたが、 一緒に活動している長老が、 集落の山があるから、その木を売れば なんとかなるかもと言ってくれました。 相談してみるものですね』 (東日本大震災から6年/石巻市/60代男性)

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住民たちで連携して、避難生活を乗り切りました

『震災前から地域活動が盛んだったので、 阪神大震災の時は、 住民たちで連携して、 避難生活を乗り切りました。 中には知り合いに声をかけて、 地域のための寄付集めをされた方もおられ、 そのネットワーク力には驚かされました』 (阪神大震災から22年/神戸市/70代男性)

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支え合えるようにしておくことが大切

『私は震源地から少し離れたところに住んでいるので、 被災した方への情報提供で応援したいと思いましたが、 知り合いがいないので、できませんでした。 普段からの繋がりの中で情報交換しておき、 支え合えるようにしておくことが大切です』 (熊本地震から1年/熊本県/40代男性)

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集落の人たちでなんとかしなければ

『避難所では開設当初、 公の支援がなかったので、 集落の人たちでなんとかしなければと思いました。 そのため、その後の地域づくりの活動も、 自分達のことは自分達でと取り組んでいます。 避難所の時の気持ちが、今も続いています』 (東日本大震災から6年/石巻市/60代男性)

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幸せになるかどうかは、自分次第

『応急仮設住宅があった四年半の間に、 見知らぬ人同士が一緒になって、 交流してきました。 ここで幸せと思って暮らしていた人は 次の場所でも幸せだと感じるはずだと 僕は思っています。 幸せになるかどうかは、自分次第ですから』 (阪神大震災から5年/神戸市/50代男性)

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地震の被害が少ない、遠い地域に引越す人も

「地震後に賃貸物件を探す人が増えましたが、 空いている賃貸物件でも、 被害を受けた家は、 修繕するまで入居できません。 大家さんはいつ貸せるかがわからず、 借りたい人も待てないので、 地震の被害が少ない、遠い地域に引越す人もいました』 (熊本地震から1年/南阿蘇村/60代男性)

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