ドアが開きませんでした

『地震で驚いて外に出ようとすると ドアが開きませんでした。 何分も経ってから家が傾いていると気がつき 開く窓を探して、そこから屋外に出ました』 (東日本大震災から4年/石巻市/70代女性)

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わからないのは当然なのですが

『震災の時、物資があっと言う間に不足し、 いつ届くのかがわからない状況になりました。 道路が寸断されていて 大勢が被災しているわけですから わからないのは当然なのですが、 不安でいっぱいになりました』 (阪神大震災から5年/神戸市/60代女性)

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協力しあわなければならない

『避難所での生活は初めてのことばかりで 不自由なことも多々ありました。 被害を受けた人同士で、 協力しあわなければならないという気持ちを 強く持つことで、なんとか過ごしました』 (熊本地震から3年/熊本市/60代女性)

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ほとんど記憶にありません

『地震が起こってから 高台に避難するまでの間のことは ほとんど記憶にありません。 気がつけば、近所の方々と一緒に 高台にいた、という感じでした』 (東日本大震災から4年/石巻市/70代女性)

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社員の安否確認で何日もかかりました

『家族の無事を確認できるとすぐに 職場に向かいました。 公共交通機関は機能していなかったので 徒歩で何時間もかけて行きました。 それからは、社員の安否確認で 何日もかかりました』 (阪神大震災から5年/神戸市/50代男性)

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切らしていたので大変でした

『熊本地震の後、 たくさんの支援をいただきました。 それでも、持病の薬など、 手には入らないものもあり、 たまたま切らしていたので 大変でした』 (熊本地震から3年/熊本市/70代女性)

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震度1の揺れでも怖くなり

『東日本大震災で 地震や津波の本当の怖さを知りました。 それからは震度1の揺れでも怖くなり 3月11日の記憶が蘇ります』 (東日本大震災から4年/石巻市/70代女性)

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震災後の生活は一変

『比較的被害の少ない地域に住んでいて、 家族も無事でしたが、 震災後の生活は一変しました。 日常生活がままなりませんでした』 (阪神大震災から5年/神戸市/60代男性)

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突然の共同生活が始まり

『地域の避難所に行くと 本当にたくさんの人がいて驚きました。 初めて出会った人々と 突然の共同生活が始まり、 いろいろと戸惑いました』 (熊本地震から3年/熊本市/60代女性)

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自分が地域のためにできること

『東日本大震災を経験してから、 自分が地域のためにできることが 何かを考えるようになりました。 大きなことはできませんが 一員として、行事などには 参加したいと思っています』 (東日本大震災から4年/石巻市/50代女性)

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